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【2】クロレラの起源、発見

【2-1 クロレラの起源】
クロレラは、地球に生命が誕生した頃から、現在まで20億年以上も生き続けてきた淡水性の緑藻の一種です。クロレラの生命力は驚異的で有性生殖は行わず、1つの細胞が20~24時間ごとに4分裂して増殖を行います。すなわち、生まれたばかりのクロレラは、光合成注1)を活発に行い、栄養成分などを蓄え、だんだん大きくなります。さらに細胞の成熟が進むと核と葉緑体はそれぞれ四つに分裂します。
クロレラは地球の歴史上で最初の真核細胞注2)を持った植物として誕生しております。それを実証する化石をハーバード大学のバークホーン教授がアフリカ南部の先カンブリア紀時代注3)の堆積岩の中から発見していることからも明かです。
上述のバークホーン教授が発見した堆積岩には、直径20ミクロンの葉緑素を持った藻類と、直径0.5ミクロンのバクテリアの化石が一緒になっていたのです。それらを、質量分析で調べた結果、この化石は31億年前のものであることがわかりました。こんな気の遠くなるような大昔にクロレラやバクテリアは出現していたわけです。
以来、クロレラは、さまざまな天変地異の中で生き抜き、現在にその姿を伝えているのです。では、何故地球の長い歴史のなかでクロレラは、あらゆる天変地異に耐え、その姿を変えることなく現在へと生息し続けてきたのでしょうか。
その理由のひとつとしては、クロレラが3~8ミクロンという非常に微細な植物であって、なおかつ、外部の環境変化から内部の組織を守ってくれる強靱な殻、すなわち細胞壁に覆われていたことが挙げられます。もう一つの理由は、その旺盛な繁殖力です。諸生物の繁殖の仕方には、有性的に繁殖するものと無性的に繁殖するものがありますが、クロレラは無性的にすばらしい繁殖を行います。すなわち始めのひとつが明日は4個、明後日は16個、……。私たちが今見るクロレラは20数億年前から分身し続けている生命体なのです。

語句の説明
注1)光合成
葉緑素をもつ植物や細菌が、太陽の光のエネルギーを使って、水と二酸化炭素から糖類などの有機化合物を合成することをいいます。その過程で、酸素が放出されます。植物の体内にある葉緑体の中で、これらのすべての作用がおこなわれます。
光合成は二酸化炭素を消費するので、地球温暖化をふせぐことでも注目を集め研究されています。また、地球上でおこなわれる光合成の多くは海水や淡水に生育している藻類によっておこなわれており、陸上の植物がおこなう光合成量はそれに比べるとずっと少ないとされています。
注2)真核生物
核をもつ細胞でできた生物の総称です。単細胞のものと多細胞のものがいます。細菌類、藍藻植物をのぞく、ほとんどの生物が真核生物にふくまれます。
細胞の核には、遺伝物質がふくまれ、二重の核膜で細胞質とへだてられています。
注3)先カンブリア紀
地質時代区分法でいう古生代以前の始生代と原生代を合わせた時代です。地球が誕生した約46億年前から5億7500万年前までの時代をさします。                                                                                          ⇑ページ上部へ

【2-2 クロレラの発見】
クロレラは地球に誕生してから、現在まで20億年以上も生き続けてきたわけですが、発見されたのは、顕微鏡が発明されてから後のことで、19世紀末の1890年(明治23年)のことでした。
オランダの微生物学者バイエリンクは、顕微鏡でやっと見える小さい美しい緑の植物を発見しました。
博士は、この植物を、
・ギリシャ語で緑色を意味する「クロロス;chlor」と、
・ラテン語で小さなものを意味する「エラ;ella] を結びつけて、
「クロレラ(chlorella)」と名付けました。
以上のように、クロレラは比較的新しい発見ですが、実は冒頭にも述べたように、地球誕生のごく初期の生物なのです。
発見されてからのクロレラは、まず始めに、クロレラを食料源とするための研究が第一次世界大戦中にドイツで始まりました。以来、第二次大戦中へと引き継がれますが、ドイツが敗戦することにより、研究は一時的に止まってしまいました。しかし、この間に、1931年にノーベル医学賞を受賞した、がん研究の権威「オット・ワールブルグ博士注1)」が、始めて生物学研究の一つに取り上げたことがきっかけになりましたすなわち、第二次大戦後、アメリカ、ドイツを中心にイギリス、フランス、イスラエル、インドなど、世界の光合成学者が競って、クロレラの研究に取り組むようになりました。
日本でも、古くから注目を集め、昭和26年に米国カーネギー研究所のすすめを受けた東大・田宮博教授が徳川研究所注2)で着手しました。そして、34年には日本クロレラ研究所が設立され本格化します。その成果として、クロレラの大量培養、製品開発、市販へと発展していきました。
当時の研究には二つの大きな目的がありました。ひとつは、もちろん未来の蛋白源としての食糧問題ですが、もう一つは当時アメリカとソ連が競っていた宇宙開発です。つまり、宇宙船のなかでクロレラを培養すれば、食糧になると同時に酸素も得られるという、一石二鳥のねらいがあったのです。クロレラは、れっきとした緑色植物ですから、盛んに酸素を発生します。宇宙船のパイロットが吐き出す炭酸ガスをクロレラに吸わせ、それを酸素にかえさせて今度は人間が吸う。このガス交換をクロレラにやってもらおうとする考え方です。このため、宇宙開発の一環として、クロレラは米ソ両国で大きく進みました。
以上のように、クロレラが発展してきた理由は、健康食品大辞典には次のように記載されています。クロレラにはその葉緑体に緑色クロロフィル色素のクロロフィルaとbが含まれ、増殖がきわめて速く、光合成能が高いのが特徴です。
衛生的な設備と厳重な品質管理の下で生産可食可処理されたクロレラは、タンパク質、ビタミンB2や鉄分等の栄養素や食物繊維、葉緑素およびクロレラエキス等、必要な栄養成分を総合的に含んでおります。緑黄色野菜の不足しがちな方、バランスのとれた食生活が困難な方の健康補助食品として注目されています。
現在、主なクロレラの利用法としては健康食品が主流ですが、そのほかの利用法もたくさんあります
●農薬・農業資材の分野でも、キュウリ、にんじん、イチゴ、ぶどう、ナシ、お茶などの栽培の元肥としての利用されています。
●植物の成長促進のための農薬や有機肥料の原料としての利用もあります。
●クロレラエキスをご使用いただいた様々な名産品が全国に数多くあります。クロレラ栽培米のコシヒカリ、ラーメンなどへ利用されています。

 

語句の説明
注1)ワールブルク博士
ワールブルク博士(Otto Heinrich Warburg 1883~1970)は、ドイツの生化学者です。
1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞され、生体組織の酸素吸収量を測定する方法を開発し、がんの研究に貢献しました。
注2)徳川生物学研究所
徳川生物学研究所は、尾張徳川家第19代当主である徳川義親(よしちか;明治19年~昭和51年)が、自宅内に設置した研究所です。
この研究所で多くの植物学者が活躍しました。                                                 ⇑ページ上部へ

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