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【3】クロレラの歴史

【3 クロレラの歴史】
クロレラの歴史は、1890年(明治23年)にオランダの微生物学者バイエリンクがクロレラを発見し、命名したことから始まりました。
(クロレラの食糧化計画の開始)
1917年(大正6年)頃、クロレラが豊富に蛋白質を含んでいること、また、クロレラの繁殖スピードが非常に速く、1日に4倍程度の量になることから、ドイツを始めとする各国で未来の食糧資源としての研究が開始されました。
(光合成の研究にクロレラ使用)
1919年(大正8年)、クロレラの研究が食糧資源として研究開始された間もない頃、ドイツのオット・ワールブルグ博士注1)は、光合成の研究にクロレラを使用しました。博士がクロレラと取り組んだため、世界の生物学者が益々クロレラを注目するようになりました。
(クロレラの純粋分離成功)
1929年(昭和4年)、柴田萬年博士東北帝国大学にてクロレラの純粋分離に成功しました。
(クロレラの屋外培養研究始まる)
1949年(昭和24年)、米国のスポア博士およびG.H.Q.から、東京大学の田宮博教授注2)あてクロレラの大量培養研究の要請がありました。
それを受けて、1951年(昭和26年)、田宮教授は、徳川生物学研究所注3)で屋外大量培養研究に着手しました。
(財団法人日本クロレラ研究所設置)
1955年(昭和30年)、太陽エネルギー利用の国際会議で、クロレラの利用が話題となり、翌年、日本政府もクロレラの大量培養に強い関心を示すようになりました。
1956年(昭和32年);科学技術庁援助のもとに、財団法人日本クロレラ研究所が設置されました。
しかしながら、6年後に同研究所は「パイロットプラントとしての目的は果たした」として、閉鎖されてしまいました。
(健康食品としてのクロレラへ)
クロレラの研究は、数多く行われましたが、クロレラの採取効率が低く、コスト高であったこと、また、戦後の目覚ましい経済復興を受けて、食料品としてのクロレラは薄れていきました。ところが、その後、健康食品として再び世間の注目をあびるようになりました。クロレラに含まれる豊富な栄養素が健康食品のニーズに答えたからでした。
(クロレラ工業株式会社の設立)
1964年(昭和39年)、クロレラの最大手である「クロレラ工業株式会社」が設立され、今日までに650例を超す研究論文を発表され、健康食品としての地位を確立されました。  そして、今日、クロレラは健康食品のみならず、多くの分野で利用されています。

語句の説明
注1)ワールブルク博士
ワールブルク博士(Otto Heinrich Warburg 1883~1970)は、ドイツの生化学者です。
1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。生体組織の酸素吸収量を測定する方法を開発し、がんの研究に貢献しました。
注2)田宮博教授
田宮博教授(1903~1984)は、植物生理学者.大阪府の生れ.東京帝国大学理学部植物学科を卒業.1943年同大学の教授.その後東京大学応用微生物研究所に移り,1961年同所長,1963年東京大学名誉教授となられました.
1946~70年,徳川生物学研究所所長を兼任.コウジカビの呼吸現象やクロレラの光合成に熱力学的・生化学的解析を導入して要素論的研究を進めて,それまで分類学・形態学など類型学的手法によっていたわが国の生物学の近代化に研究・教育の両面で大きく貢献しました.
田宮教授は、戦前・戦後を通じて国際交流に尽力した先駆者でもありました.1965年学士院賞,1977年に文化勲章を授与されています.
注3)徳川生物学研究所
徳川生物学研究所は、尾張徳川家第19代当主である徳川義親(よしちか;明治19年~昭和51年)が、自宅内に設置した研究所です。
この研究所で多くの植物学者が活躍しました。                                                                        ⇑ページ上部へ

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